さあ 幸せになってみようか

先日借りたカレカノ Vol.4を観た。芝姫が救われる話、そしていろいろな形の家族の話。

愛という感情は何だろうか。人を好きになるとはどういうことだろうか。未だにわからない。

私の父は塾を経営していた。夕方から深夜までが仕事だ。私が学校から帰る時間が、父の出勤だった。私の母はピアノ教室を開いていた。夕方から深夜までが仕事だ。私が学校から帰る時間が、母の出勤だった。弟はいつも一緒にいた。孤独、だったろうか。寂しかったろうか。

父との思い出

神経質だった。潔癖症だった。家族と洗濯物を別にしていた。お金に触った後は何度も何度も手を洗っていた。母から聞いた話だが、初対面の人に会った日は、一日中、動悸が止まらなかったという。英語が得意だった。毎日、欠かさず、英会話のラジオを聴いていた。本棚には、たくさんの洋書が並んでいた。今でも実家に残っている。自分が死んだら、図書館に寄付してほしい、そう言っていた。

叱るときはいつも、二階の窓から落とす振りをするという、理屈ではなく、脅しのしつけ方針だった。

風邪で寝込んだとき、添い寝をしてくれた。私の気が楽になるように、いい夢が見られるように、即興で物語を話してくれた。

小学校の夏休み、毎日のように市民プールへ行った。父の自転車は速くて、巧く着いていけなかった。でも、ときどき後ろを振り向いてくれた。父はずっと25mプールで、ゆっくり、ゆっくりクロールで泳ぎ続けた。一緒に遊ぶことはなかった。私と弟は、人で埋め尽くされたプールで一緒に遊んだ。休憩時間には、父と一緒に身体を温めた。何か話しただろうか。帰りには、お金にはケチだった父が、必ず飲み物を買ってくれた。遊び疲れた身体に、甘味が沁み渡った。父はいつも、私と弟から一口ずつもらうだけだった。

あるとき、父はキャンプへ行こうと言った。狭い軽自動車に荷物を詰め込んで、私たち四人家族は、幾度かキャンプに行った。外での食事、テントと寝袋、自然の中にいることは、とても幸せに思えた。何度目かのキャンプを計画していたとき、父は体調を崩していた。後からわかったことだが、直腸癌だった。それなのに、私が駄々をこねて、そのキャンプは決行された。父は、夜中に何度もトイレへ行っていたようだった。

高校三年、父の余命が半年と告げられた。父は声を震わせながら、私と弟に、それを告げた。そのときだけは、私も涙したと記憶している。しかし、その後は、受験勉強で神経を尖らせていて、厄介なことになった、と冷徹な感情に支配された。千葉大学を受験するつもりでいたが、私は実家に残る選択をした。宇都宮大学に合格した。奨学金と、授業料免除で大学へ通った。アルバイトは少ししかしなかった。遠い親戚の小学生の家庭教師と、高校の後輩のコネクションで、とある工場の手書きマニュアルを電子化した。今では衰えたものだが、タイピングだけは異常に速かった。その間も、父の闘病は続いていた。手術、心筋梗塞、脳への癌転移、入退院の繰返し……。

脳からの癌細胞摘出手術で後遺症が残り、父とは、まともなコミュニケーションが取れなくなった。父は寝たきりになった。下の世話をしたとき、父は複雑な表情をしていた。情けない、とでも思っていたのだろうか。会話できないことが、もどかしかった。後悔した。もっと、もっと、父と話せばよかった。余命半年と告げられてはいたが、父の闘病は四年に渡り、病は父を苦しめた。

大学三年の夏、医師から、いつ亡くなってもおかしくない状況だと告げられた。母と私と弟は、可能な限り、病室に張り付いた。いたところで、何もすることはできなかった。父とは意思疎通ができず、ただただ、定期的にやってくる看護師の仕事を眺めるだけだった。

九月、父、他界。涙は、一滴も流れなかった。長い、長い、看病から解放されたのだった。

母の印象

母はさばさばしてはいるが、とても女性的だ。心が弱っているときは、不安定になり、意識的なのか、無意識なのか、非科学的なものに頼ろうとする。宗教、風水、印鑑、石、等々。話し方も女性だ。「おかず、ひとつ残ってる」は、「私が食べたい」と解釈しなくてはいけない。私は、あの人のそういうところが大嫌いだ。話は無駄に長い。要点は最後に話すか、はじめから要点などない。オチもない。母親としては、息子が帝都で独り暮らししていることは、とても寂しいことらしい。表面上、強がってはいるが、時々、弱音らしいことを漏らす。

あの人が何を愉しみに生きているのかは、計り知れない。うちは貧しいため、仕事ばかりしている。まだ働けることが幸せだと言う。生きているだけで幸せだと言う。息子たちがいてくれるだけで、幸せだと言う。幸せに生きてほしい。

弟の印象

幼い頃は、よくいじめて、怖がらせてしまったと思う。その記憶のせいか、母よりも私に従順である。どこか頼りない。私より片親期間が長いわけだから、私が父親代わりにならなくては、と思う。成人してから煙草を吸いはじめた。やめるよう説得したが、ダメだった。内心、家を出たいのではないかと思う。母のことを思って、残っていてくれているのではないかと、思う。

オタク調教済み。仕事もそっち方面。よく冗談を言い合って、二人で笑う。楽観的なところは母に似ている。幸せに生きてほしい。

さあ 幸せになってみようか

芝姫の言葉が心に響いた。独りは寂しい。私にもそういう感情があることが最近になってわかった。私の心の病は、一緒にいてくれる人がただ一人いるだけで、信じ合える人がただ一人いるだけで、簡単に治るのではないかと思う。